【介護】樺太生まれの父親の介護の苦労と幸せ

父親の介護生活

介護される父の略歴

父親の介護は平成17年5月から始まりました。介護の始まりから話す前に父の紹介からさせて頂きます。

昭和12年1月に樺太に生まれました。平成29年9月現在は80歳になります。

20代の頃は習志野にある自衛隊第一空挺団に所属していました。

第一空挺団は「精鋭無比」を掲げている位、自衛隊員の中でも特殊部隊に位置するエリート集団です。

父はその中でも訓練で期末に表彰を受けるほどの優秀な隊員でした。

その空挺団で有名なのが落下傘部隊です。今でも新年早々習志野では初降下訓練を一般公開しています。

この落下傘訓練を父は100回程したそうです。あと有名なのがレンジャー訓練。これも飲まず食わずで重い武器を背負ったまま何時間も歩いたりする相当キツイ訓練だそうです。

こういった訓練を20代に行なっていたので、身体への負担は相当なものだと想像できます。

実際、父の自衛隊の同期は殆ど亡くなっています。

30歳を前にして自衛隊は除隊したのですが、介護が必要となるまで常に若々しく肉体も屈強でした。

僕は高校時代、柔道部に所属してましたが、腕力には相当自信があり、学校でも敵なしの状態でした。

高校時代で父は52,3歳だったと思いますが、ある時腕相撲勝負を挑むことになります。

内心勝てると思い右腕の勝負となったのですが、ビクともしない。フザケて両手で挑みましたが、それも跳ね返されました。

また、父は30代ころからボウリングを趣味とし、アベレージで200以上出していたと言います。

実際、65歳ころ一緒にボウリングをしたのですが、3ゲーム中、1ゲームで200以上を出していました。

突然の介護生活

そんな屈強な父に異変が起きたのが68歳の時。

突然、夜中11時ごろ家の廊下で物音がしました。

驚いて駆けつけると父が仰向けに倒れていました。廊下からリビングに移動させ、耳元で「お父さん、大丈夫?」と何度も呼びかけました。

すると今まで横たわっていた父が急にムクッと立上り、椅子に腰掛けタバコを吸い始めました。

やったー、一時的なものだと安心していた所、タバコが駄目だったのでしょう、もう一度意識が混濁し始め、この段階で救急車を呼びました。

この時僕は32歳。父の介護は将来的に必要になるかな、80歳以降だろうなと漠然と考えていた自分の前に突如訪れました。

(その2へ続く)

Yas

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