【書評】木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦という格闘家をご存知だろうか?

1917年生まれなので、おおよそ100年前の人物である。現在70歳以上の方ならば力道山戦での死闘をリアルタイムで見ているかもしれない。柔道家でありながら、一時期プロレスラーや今で言う総合格闘家として活躍していた時期もある。

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのかはゴング格闘技という格闘技の専門誌で4年間に渡って掲載されていたものが1冊の本になったので、早速購入して読んでみた。

その本のあらすじと共に、私の感想を交えて記していこう。

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史上最強の柔道家

木村政彦の身長は170cm。体重は85kg。当時の柔道家としても小柄な部類だと思われる。

しかし、人の3倍の努力、稽古により柔道家としての技術力もさることながら、ウエイトトレーニングにも熱心だったので、100kgのベンチプレスを1セット/時間を繰り返し、仕上げに腕立て伏せ1000回行ったという。

全盛期のベンチプレスでは250kg以上挙げたといい、現代の柔道家でもこれだけの体力をもった選手はいないのではないだろうか?

同時代の柔道家達はあの木村政彦に何分耐えたから、俺のほうが強いと言い合っていたといい、決して勝てる相手では無かったという。

プロレスリング日本選手権

40代の私は柔道をやっていたので、偉大な柔道家として木村政彦の事を知っていたし、プロレスファンでもあったので、プロレス実力日本一決定戦として、日本プロレスの父とも言われる力道山と木村政彦が勝負したのも知っている。

この一戦を知っている方も知らない方も下の映像を見て欲しい。

全て見るには長いので、要所要所で見て欲しい。

4:02~ 力道山が木村を足で挟み込むヘッドシザースしているのを、木村が倒立する形でエスケープするが、その後足がロープに絡まる。タイガーマスクだとここでスクッと回転するように立つが、木村はリングの大きさやロープ位置が分かっていないのか、倒立して倒れた先にロープがあるので、見た目も不格好である。

4:18~ 力道山が木村を投げようとすると、木村が耐える。通常プロレスのムーブだと投げに入ったら相手はキレイに投げられるのがセオリーなのだが、木村が耐えたので力道山が足を取る。これも足を取られたら倒れて、そこからグランドの展開になるのだが、これも木村が耐えたので、お互い立ったままケンケンするような奇妙な体勢となる。

7:56~ 力道山が木村をボディスラムしようとするが、木村が一瞬柔道の癖で耐えてしまう。ボディスラムはプロレスの基本技なので、投げられる選手も相手の胸や肩に手をついて、いわばお互い協力する形で投げる技なのだが、力道山がパワーで木村の事を投げる。すると投げられた木村が下から力道山を蹴り上げる。クリーンヒットしなかったものの、プロレスの動きではあまり見られない展開である。

10:34~ 木村が下からちょこんとと蹴り上げるようにキックすると、力道山の股間に軽くヒットする。致命的な技ではなかったし、あまりダメージも無いと思われるが、上記の噛み合わない展開に業を煮やした力道山が金的に当たってしまうような稚拙な蹴りにキレてしまい、本来の筋書きにあるような展開を変更(ブック破り)して木村政彦の事をボコボコにしてしまう。

以上気になった点を列挙してみたが、いかがだろうか?これはプロレス側から見た展開と、柔道側から見た展開とに別れてしまうが、どちらかと言えばプロレス寄りの目線で感想を書いてみた。

要するに柔道では無敵の木村政彦はプロレスをフェイクファイトだからといって、真剣にやっていなかった可能性が高いと見る。

プロレスラーとして成功する格闘家・失敗する格闘家

プロレスラーとして成功した格闘家は多く、ジャンボ鶴田や長州力、坂口征二、永田裕志などレスリングや柔道で世界レベル、代表レベルに達している格闘家が一からプロレスを勉強したお陰で一流のプロレスラーになっていった。

しかし、格闘家として一流でもプロレスラーとして順応出来なかった選手も多く、アントン・ヘーシンク、ウイリアム・ルスカ、輪島大士などプロレスラーとして未熟なまま引退していく例もある。木村政彦は後者の方で、順応出来ないままプロレスを引退した形である。

結局、自分のキャリアを一旦捨てて、プロレスラー1年生として純粋にプロレスの基本、ムーブを身に着けて、沢山試合をする事で駆け引きを覚え、そこで初めてプロレスラーの個性が出てきて、本来の格闘技の良さが出てくると思う。

長州力など、レスリングでオリンピックにも出た猛者だが、プロレスラーとしてはリキラリアットやサソリ固めなど、レスリングとは別の動きを得意技として非常に個性的なレスラーになった。その中でグラウンドの技術で相手を抑え込むなど、レスリングの技術は控えめにしながらもプロレスラーとして総合力の高い選手になって成功した例である。

もしも真剣勝負で力道山と戦ったならば?

柔道側の目線で真剣勝負をしたならば、格闘家として技術が上回る木村政彦が力道山に圧勝していたに違いないと見る場合が多い。

しかし、この時木村政彦37歳で力道山が30歳。木村政彦は体力的に落ち目になってくる年齢に対し、力道山はほぼ全盛期にあたる年齢とも言える。

木村政彦は柔道がベースなのでタックルからのテイクダウンや組んでからの投げで活路を見出すと思われるが、力道山は大相撲がベースなので、組んでから倒されない技術に関しては非常に高いものがある。

しかも道着を着た戦いではなく、ハダカ同士なのでなおさら力道山有利の形だし、木村政彦もボクシングや空手の心得はあったが、幕内力士でもあった力道山の突っ張り等の打撃が非常に強力だったので、木村政彦が組み付いてくるのに対し、力道山が組ませないようにして、打撃を与え続ければ木村政彦はグロッキー状態になってもおかしくない。

力道山もスタミナがあったとは言えないので、木村政彦が組み付いて、テイクダウン出来ればこれは子供と大人位差のあるグラウンド技術でたちまち木村政彦が一本を取るに違いにない。

6対4で木村政彦が有利とみるが、真剣勝負ならば木村政彦が圧勝とは思えない。力道山も相撲で培った格闘家としての強さは十分にあったと思う。

この本の著者「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか」の増田氏は北大柔道部出身の柔道家であるので、どうしても柔道家寄りの目線で対力道山戦を見ているが、プロレス側から見ると木村政彦のプロレスに対するリスペクトが足りなかった事が一因になっていると思う。

プロレスの世界でも台本通りではないブック破り、セメントマッチ(真剣勝負)になる事は稀にある事なのだが、プロレスをリスペクトしている選手であれば、相手も格闘技の技術を持っている事は把握し、目には目を歯には歯をという精神を持ち合わせているのが一流のプロレスラーであると思う。

アントニオ猪木にせよ、前田日明にせよ、長いキャリアの中で試合途中から真剣勝負に変わってしまった事はあると思うし、それを乗り越えてきたきたから今があると思う。

柔道という日本が誇る格闘技と、西洋生まれながら、日本独自に発展したプロレスが60年以上前に交差した奇跡をこの本で味わう事が出来る。

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Yas

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