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自己紹介

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プロフィール

 

皆様初めまして。フリーランスのYasと申します。ログハウスの設計や施工図を作成する仕事をしています。

このブログではフリーランスの生き方(仕事・趣味・婚活・介護・健康等)をありのままに書き連ねたいと思います。

ブログを通じアラフォー世代や同じ境遇の方に仕事、介護、趣味等に共感して貰えば嬉しいですね。

またフリーランスになりたいサラリーマンへ踏み出すキッカケになればと思います。

運営者の略歴

Yas(ヤス)

昭和48年5月生まれ。千葉県出身。市原市在住。

東海大学工学部建築学科卒業。某中堅ゼネコンに勤務し、数年後設計事務所に転職。

2005年よりログハウス設計業として独立。現職。

個人スペック

・中学時代:100m走12秒00、走り幅跳び5m23cm

・高校時代:柔道黒帯(初段)

・社会人 :ベンチプレス170kg挙上

・資格  :学芸員

 

経歴

 

天真爛漫な子供時代

千葉県に生まれ、3歳のとき父の転勤で埼玉に引っ越す。ほどなくして新潟へ引っ越し、1年ほどで千葉に帰ってくる。常に走り回っていた元気な子供でした。

小学校3年生の時、水泳とそろばんを同時に習いました。水泳は小学校5年生まで続けましたが、選手育成コースに進むと廻りのレベルについていけず断念。

そろばんは性に合ったようで、中学3年生まで続けました。1級まで取得しましたが、免状はどこか無くしました(笑)

小学5,6年生の時卓球部へ入部しました。対外試合はなく、学内だけのクラブ活動でした。子供のころ身につけた技術は自転車と同じでアラフォーの現在もそこそこラリーが続きます。

中学生になると陸上部へ入部しました。小学生の頃から地区対抗リレーに選抜されるほど短距離は早かったですね。子供に頃に走り回っていたお陰でしょう。

100メートルと走り幅跳びを専門にしていました。中学時代の記録は100メートルで12秒00,走り幅跳びで5m23cm。地方大会に出ても新人賞どまりの記録でしたが、後に続く競技に役立ちました。

大学付属の高校へ入学。父が柔道の黒帯だったので、陸上部に未練を残しつつ、柔道部へ入部しました。すぐに黒帯がとれるかな?と思いましたが、自分より身体の小さい先輩にボロボロにされ厳しい世界だと知りました。

陸上部で鍛えた瞬発力は柔道でも活かされ、1年で黒帯(初段)を取りました。柔道の成績は陸上部時代と同じ地方大会の新人賞どまり。大した選手ではありませんでしたが、黒帯をとった事で自信が付きました。

(←体落としをキメるワタクシ。高校のパンフレットに部活紹介で掲載されました。)

大学では実戦カラテを習うべく、下宿近くの道場へ入門。しかし入門初日に何度も倒され、ショックを受けました。柔道では受け身を教えてくれますが、実戦カラテでは殴られて覚える風習なのか防御を教わる前にハイキックやボディパンチでダウン!

胸や腕、スネに無数のアザが出来ました。数ヶ月通い黄帯の人と互角に戦えるまでになりましたが、行く度に怪我をするので断念しました。

社会人になって甘い自分を叩き直してくれた

大学卒業後、関西に本社のある某ゼネコンに現場監督として就職。研修後名古屋支店に配属されました。

この頃はブラック企業という言葉はありませんでしたが、早朝から深夜までの激務に常にヘトヘト状態でした。

(←業務前のラジオ体操)

(←倉庫の床のコンクリート打設)

一人っ子として甘やかさて育てられたので、今考えれば精神的にホントに甘かった。厳しい職人さんが多い現場に大学を卒業したばかりの僕が新入社員として入った時には正に別次元の厳しい社会に放り込まれた感じで、精神的にいつもストレスを感じた状態でした。

名古屋支店でしたが、管轄は広く福井県、石川県、愛知県、三重県の現場で働きました。

現場監督という仕事は会社に通うのではなく、職場はあくまで工事現場。現場の立上げから竣工まで半年から1年位働くと、会社から辞令が出て次の現場へ移ります。

4年間務めましたが、現場監督よりも設計の仕事がしたいと考え、転職を機に千葉県に帰ってきました。

千葉県に住みながら、東京の設計事務所で働き始めます。転職はかなり大変で、職安に行っても希望の仕事がありません。

当時26歳でしたが、面接に行った設計事務所では自分のキャリアについてボロクソに言われ、挙句の果てに不採用。ディスられに行ったようなものでした。

その後も幾つか入社面接を受けましたが、施工系の会社からはゼネコンの経験を買われて採用の見込みを言われるのですが、設計の仕事はありませんでした。

それでも就職雑誌を見て何とか採用して貰いました。粘り勝ちですね。

めでたく設計事務所勤務となりましたが、千葉から東京まで片道2時間。朝5時半に起きて帰宅すると午前0時過ぎという生活を4年間やりました。

この時は20代後半から30代前半の若さだったので、たまに早く仕事が終わると吉祥寺駅近くのティップネスに通ってました。44歳の今では考えられませんが、若さって素晴らしいですね。

この設計事務所以外の技術も勉強したいと、他の設計事務所への転職を図りますが、ログハウスというニッチな技術を活かすべく個人事業主という生き方に考えを変えて、独立しました。

独立の高揚感と絶望感そして希望を目指して

独立早々仕事の依頼が多く、順調な滑り出しでした。今まで会社でやっていた仕事を自宅でやりながら、直接代金が取引先から振り込まれる。 不思議でもあり、独立した高揚感に浸っていました。

 (←実際の業務とは関係ありません。)

しかし開業から1週間後、父が脳梗塞で入院。昼間病院に通いながら深夜仕事をこなさなければならないという肉体的な厳しさ。そして今まで元気だった父親が右半身麻痺という衝撃。絶望感に苛まれながら、父の退院まで乗り切りました。

父の大病はその後も2度あり、リーマン・ショックで仕事が激減してどん底を味わいながらも、フリーランスとして生きてきました。

仕事と介護の間で趣味の時間を持つようにしています。それがベンチプレスを中心とするウエイトトレーニングです。仕事や介護の事を忘れてトレーニングの時は一心不乱にバーベルに向き合います。ストレス解消と体つくりを兼ねた生涯の趣味です。

水泳出身者は胸板が厚いせいかベンチプレスが得意な人が多いようです。柔道に役立った陸上といい、経験した事に無駄はありませんね。

 (←市民大会で150kgを挙上しました。)

これからはブログの運営を軌道に乗せて、建築の仕事も営業を頑張って販路拡大していきます。

また自分の経験を活かして技術や知識を伝える、教える仕事を将来的にやりたいですね。これからも希望あふれるフリーランスの道を歩んでいきたいと思います。

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