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【伝説のプロレスラー】プロレス界の至宝 歴代のタイガーマスクについて

フリーランスのYas(@yaschiich)です。

個人事業主として在宅勤務17年の経験や、健康に役立つ筋トレ情報、その他個人的な興味ある事を発信していきます。

1968年に漫画雑誌に掲載されたタイガーマスク。孤児院で育った主人公が虎の穴という格闘技道場で殺人的なトレーニングをこなし、プロレスデビューして強豪と死闘を繰り広げるという刺激的なストーリーに人気を博しました。

アニメのタイガーマスクのストーリーを知っている方も知らない方も、下記のあらすじをご覧見て下さい。


孤児院「ちびっこハウス」の伊達直人は子供の頃に動物園の虎の檻の前でケンカをして相手を叩きのめしたのがきっかけで、悪役レスラー養成機関「虎の穴」にスカウトされる。
虎の穴での殺人トレーニングをこなす日々の中で、自分と同じような生い立ちを持つ孤児たちに、同じような苦しみを味わわせたくないという想いを抱くようになり、虎の穴を卒業。悪役覆面レスラー「タイガーマスク」としてプロレスデビューをしてからは、収入の一部を孤児院へ寄付するようになった。当初は虎の穴へのファイトマネーの半額という上納金は支払った上で、自分の手取り分の範囲内での援助を考えていたが、自分の出身施設である孤児院「ちびっこハウス」の窮状を知り、虎の穴へ納める分まで寄付せざるを得なくなる。虎の穴はタイガーを裏切り者とみなし、タイガーを倒すための刺客を次々と送って来る。
同じ裏切り者となるなら、せめて後輩となる「ちびっ子ハウス」の子供たちに恥じない戦いをしたいと、悪役からフェアプレーで戦う正統派スタイルへ転向。当初は、身についた悪役ファイトが抜けきれず、また正攻法では大物レスラーを相手に通用しないので、苦闘の連続だった。レフェリーの目を盗んだ喉笛へのトウキックなどの隠し技を使うこともあったが、ジャイアント馬場にあっさりこれを見抜かれ、以後封印する。
やがて、ウルトラ・タイガー・ドロップ、フジヤマ・タイガー・ブリーカー(アニメでは「ウルトラ・タイガー・ブリーカー」)、タイガーVなど、独自の必殺技を開発していく。
しかし、虎の穴が次々と送り込んでくる悪役レスラーたちとの死闘の中、反則に反則で応えてしまうこともしばしばあり、「虎の穴」で身についた悪役スタイルと正統派でありたい意識の中でながく葛藤した。直人がこの苦悩から解放されるのは、ミル・マスカラスの弟、エル・サイケデリコから、正統派のイメージにこだわるあまり、ルールで認められた5カウント内の反則まで否定してしまった兄の苦悩を聞かされてからである。
この助言を受けて、ようやく虎の穴の呪縛から逃れ、テクニックでも反則技でも一流だったルー・テーズの再来を目指すこととなる。ドリー・ファンク・ジュニアとの世界タイトルマッチが実現、ぎりぎりまで追い詰めるものの、ジュニアはセコンド・シニアの指示でレフェリーの沖識名を殴打、苦し紛れの反則負けにもちこまれタイトル奪取ならず。大阪での再戦当日、直人は車にひかれそうになった子供をかばって死亡した。最後の力を振り絞って虎の覆面を近くの川へ投げ捨てたため、伊達直人の事故死とタイガーマスクの失踪はむすびつけて考えられることはなかった。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

その劇画のキャラクターがリアルな世界に登場し、実際プロレスデビューを果たしました。

初代タイガーマスク

本名:佐山サトル

生まれ:1957年11月27日 –

身長:173cm

体重:90kg

格闘技歴:柔道、レスリング

レスラー像

劇画のキャラクターがリアルな世界に登場し、実際プロレスデビューを果たしました。

初代タイガーマスクが登場した時にマスクが間に合わなかったのでしょう。布に直接描いたようなデザインに観客が失笑しました。

しかしゴングが鳴ってタイガーマスクの動きを見た観客の苦笑いが驚きの表情に変わります。

後にタイガーステップと言われる無重力を伺わせるような軽いステップ、本格的な蹴り、空中殺法・・・どれも今までのプロレスでは見たことの無いアクションでした。

それまではプロレスファンというとオジサンの層が多かったのですが、タイガーマスクの登場を機に少年ファンが多くなりました。僕もその内の一人ですが、その頃の新日本プロレスはアントニオ猪木が30代でまだ若く、藤波辰巳(現:辰爾)、長州力、前田日明、ハルク・ホーガン、スタン・ハンセン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、アンドレ・ザ・ジャイアントと個性的で煌めくようなスターがリング上を席巻していました。

その中でもタイガーマスクは飛び抜けた存在感を示していました。

新日本プロレスでの活動期間は2年あまりで引退し、その後UWFやプロレスで復帰しましたが、実質的には初めの2年間がタイガーマスクの全盛期と言えますし、その僅かな期間でプロレスの歴史の中で伝説を残しました。

2代目タイガーマスク

本名:三沢光晴

生まれ: 1962年6月18日 – 2009年6月13日

身長:185cm

体重:110kg

格闘技歴:レスリング

レスラー像

初代タイガーマスクのインパクトがあまりにも大きかったので、2代目を務めるというのは比較されるし、本人もプレッシャーだったと思います。

三沢選手は中学時代に器械体操の経験があったので、タイガーマスクのムーブメントもそつなくこなしました。

体重は最終的に110kgのヘビー級になりましたが、タイガーマスクとして活動していた時期は100kg前後だったと思います。

全日本プロレスは大型の選手が多く、全日本プロレス的な受けのプロレスがベースにあるので、初代タイガーマスクに見られた格闘技的な戦いとは一線を画する戦い方だったと思います。

結果的には三沢選手としてタイガーマスクを止めてからブレイクして、エルボーを中心としたダイナミックな戦いを見せてくれました。

3代目タイガーマスク

本名:金本浩二

生まれ:1966年10月31日 –

身長:180cm

体重:80kg

格闘技歴:柔道

レスラー像

金本選手はジュニアヘビー級の選手ですが、非常に気が荒く、ラフ殺法に定評のある選手です。

その金本選手は3代目タイガーマスクを任されましたが、彼の本来の荒々しさを封じ込めて、タイガーマスクのムーブメントに収めるには少々無理がありました。

その為か1年経たずにマスクを脱ぎ、タイガーマスクとしては短命に終わりました。

4代目タイガーマスク

本名:非公表

生まれ:1970年10月20日 –

身長:175cm

体重:85kg

格闘技歴 シューティング

レスラー像

初代の佐山サトルが創設した修斗(シューティング)を学び、直接指導されたので、歴代のタイガーマスクの中では初代に一番近いファイトスタイルだと思います。

体格も初代に近いので、見た目的にも非常に似ています。

レスラーとしてのデビューは1995年、みちのくプロレスのザ・グレートサスケ戦で、2002年には初代が所属していた新日本プロレスに移籍します。

レスラーのキャリアは24年となり、歴代タイガーマスクの中では一番長いキャリアとなっています。

個人的な印象ですが、2代目、3代目と同じく、初代のムーブメントを追っている部分があるせいで、まとまり過ぎてレスラーとしてのインパクトに欠けているフシがあります。

また、空中殺法という点でも初代の時代のものよりも格段に進化しているので、初代を追うばかりに技術も目立たなくなるという点もあります。

2019年3月現在で48歳。タイガーマスクを体現するには年々大変だと思いますが、出来るだけ長く現役を続けて貰いたいものです。

まとめ

レスラーとしてのタイガーマスクの完成形は初代に尽きます。

劇画のタイガーマスクもストーリー上は格闘技のジムで鍛える所から始まるので、格闘家志向の佐山サトル氏とはファンタジーとリアルな点で一致しました。

佐山サトルのタイガーマスクがあまりにも完成したものだったので、いくら引き継いでも初代の影を追ってしまいます。

皮肉なもので、初代タイガーマスクの現役時代は嫌で早く脱ぎたかったとの事。

初代タイガーマスクの活動期間は2年しかありませんでしたが、その2年は日本プロレス史の中でも燦然と輝く、革命的な選手でした。タイガーマスクが登場したお陰でプロレスの世界に本格的な蹴りが導入され、空中殺法もレベルが格段にアップしました。

またマスクを脱いだお陰でシューティングを創設し、修斗となり、現在の日本の総合格闘技の礎となった点を見れば佐山サトル氏の功績はプロレス界、格闘技界への功績は計り知れません。

タイガーマスクはこれからも語り継がれていくでしょう。

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