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【伝説のプロレスラー】ハーリー・レイスとはどんな凄いレスラーだったのか?

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フリーランスのYas(@yaschiich)です。

個人事業主として在宅勤務17年の経験や、健康に役立つ筋トレ情報、その他個人的な興味ある事を発信していきます。

今朝、ヤフーニュースのトップページにハーリー・レイスが亡くなったことが掲載されていました。

若いプロレスファンではハーリー・レイスの試合やどんなレスラーだったのか知らない方も多いと思います。

全日本プロレスが土曜日の夕方に日本テレビでやっていた1980年代、主に来日外人選手のリーダー格として来日していました。

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新人時代

子供の頃からプロレスラーを志し、ポーランドの伝説的レスラーだったスタニスラウス・ズビスコと彼の弟ウラディック・ズビスコのコーチを受けて、サーカスなどに出場するカーニバル・レスラーとして15歳でデビュー。腕自慢の素人など、観客から挑戦者を募って勝負するカーニバル・レスリングにおいてシュートの実戦経験を積んだ後、ミズーリ州セントジョセフのプロモーターだったグスト・カラスの仲介で1960年より通常のプロレス界に進出。1960年代前半はジャック・ロング(Jack Long) と名乗り、ジョニー・ロングとのロング・ブラザーズとしてテネシーのNWAミッドアメリカ地区などで活動した。

Wikipedia

15歳でデビューしていたのですね。しかもプロレスラーではなくカーニバルレスラー。これは腕自慢の素人相手に真剣勝負するレスラーなのですが、彼がプロレスラーとして長年活躍出来たのもカーニバルレスラーとして身につけた喧嘩が強いという芯があったお陰です。

肉体的にもタフで、あるレスラーが証言していたのですが、試合でハーリー・レイスが血だるまになり、そのダメージを心配していたら、試合後の酒場で額に絆創膏を貼った姿でお酒を呑んでいたとの事でした。

いかにもオールドレスラーならではの破天荒さが見て取れます。最近のレスラーは色んな意味で洗練されていて、肉体もボディビルダー顔負けの肉体美のレスラーが多いです。

ハーリー・レイスの肉体を見ると筋肉隆々とい感じではなく、頑丈なゴツい肉体という感じです。昭和に活躍したレスラー達はこういった傾向が強いと思います。

全盛期

日本では1973年2月より全日本プロレスを主戦場とし、NWA世界王者となってからも全日本の看板外国人レスラーとして、特別参加の扱いで再三来日。馬場をはじめ、ジャンボ鶴田、タイガー戸口、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ミル・マスカラス、ディック・マードックらを挑戦者に日本でも防衛戦を行った。世界王座から陥落していた1982年には、8月1日に後楽園ホールにて鶴田からUNヘビー級王座を、10月26日に帯広市総合体育館にて馬場からPWFヘビー級王座をそれぞれ奪取している。年末の世界最強タッグ決定リーグ戦には4回出場しており、1984年にはAWA世界ヘビー級王座に幾度となく就いたニック・ボックウィンクルとの元世界王者コンビを実現させた。
1983年6月10日にはリック・フレアーを破ってNWA世界ヘビー級王座への通算7度目の戴冠を果たし、同年11月24日にフレアーの本拠地ノースカロライナ州グリーンズボロにて奪還されるまで保持した(翌1984年3月21日、ニュージーランドにて再びフレアーを下したが、レフェリーのカウントが早かったとして翌22日にはフレアーが王者に認定されている)。
また、共同プロモーターを務めていたハート・オブ・アメリカ・スポーツ・アトラクションズのNWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座には、1968年から1984年にかけて、サニー・マイヤース、ボブ・ガイゲル、モンゴリアン・ストンパー、ボブ・ブラウン、デューイ・ロバートソン、ハクソー・ヒギンズらを破り通算9回、セントルイス・レスリング・クラブのNWAミズーリ・ヘビー級王座には、1972年から1985年にかけて、パク・ソン、ジン・キニスキー、ドリー・ファンク・ジュニア、ディック・ザ・ブルーザー、デビッド・フォン・エリック、ジェリー・ブラックウェルらを破り通算7回戴冠している。
1986年5月、全日本プロレスへの昭和期最後の参戦を経てWWFに移籍。WWFでは元NWA世界王者という肩書きは抹消され、代わりに王冠とケープを纏った「リングの王」というギミックの “キング” ハーリー・レイスを名乗った。これはNWA世界王座への戴冠歴に触れずにレイスの格にふさわしい扱いをするためのギミックであると同時に、同じくキングを名乗ったジェリー・ローラーへのWWFからのあてつけでもあった(当時のローラーは、反WWFの急先鋒の1人だった)。同年7月14日に開催されたキング・オブ・ザ・リングでは、1回戦でジョージ・スティール、準決勝でビリー・ジャック・ヘインズ、決勝でペドロ・モラレスを下し、優勝を飾って「キング」の称号を名実ともに獲得、8月30日にはヒール陣営の列席のもとリング上で戴冠式が行われた。翌1987年はジャンクヤード・ドッグとの「キング対ドッグ」の抗争を経て、ハルク・ホーガンのWWF世界ヘビー級王座に再三挑戦。以降もランディ・サベージやジム・ドゥガンなどを抗争相手に、1989年初頭まで在籍した。WWFではボビー・ヒーナンをマネージャーに迎え、当時ヒールターンしていたアンドレ・ザ・ジャイアントとも共闘した。

Wikipedia

現在世界で最大の規模を誇るプロレス団体はWWEという団体ですが、かつてはNWA、AWAという威厳のある団体が存在していました。
その両団体で世界チャンピオンに何度も君臨しました。1980年代はハーリー・レイスが30代を迎え、正に油の乗り切った全盛期と言っていい年代でした。

ここに日本でのファイト映像があります。

ジャイアント馬場の身長が209cmに対し、ハーリー・レイスの身長が185cm。その身長差は24cmあります。

しかしハーリー・レイスが凄いのが大型選手に対しても普段通りのファイトをしています。ヘッドバッドを叩き込み、ブレンバスターも軽々と決めます。ブレンバスターは通常一回り大きい相手に決めるのは困難です。しかもジャイアント馬場という規格外の体格を誇るレスラーを投げるのは至難の業。

ブレンバスターは特に難しい投げ技だと思いますが、ジャイアント馬場のような投げにくい選手を普通に投げきる技術とパワーは凄いです。

普通はこれだけ体格差があると、身体の小さい方の選手は相手に対し持て余し気味になって、フットワークや小さい身体を活かした試合構成になりますが、ハーリー・レイスは自分のファイトスタイルを崩さずに大型選手に対しても技を決めきる事は本当に凄いことだと思います。

子供の頃見ていたハーリー・レイスは、スタン・ハンセンやブルーザー・ブロディと比較すると地味に見えていたのでその凄さが分からなかったのですが、今映像を見てみると凄い選手だったのだなと分かりますね。

プロレスラーはテクニシャンタイプとパワーファイター、悪役等の喧嘩ファイターなど幾つかに分類できますが、このハーリー・レイスは全て兼ね備えた名レスラーですね。

引退~晩年

WWF退団後の1989年4月、全日本プロレスに3年ぶりに参戦。これが現役としては最後の来日となり、以降は事実上引退し、WCWでベイダーやレックス・ルガーなどのマネージャーを担当した。交通事故により1995年に正式に引退した後は、ホームタウンのミズーリ州エルドンにてレスリング・アカデミーおよびインディー団体のWLWを主宰し、後進の育成に尽力している。
日本の団体ではプロレスリング・ノアがWLWと友好関係を築いており、2010年11月からは、前任者ジョー樋口の死去に伴い、ノアのフラッグシップ・タイトルであるGHCの管理委員長に就任。以後、多くのノア所属日本人レスラーがレイスのもとを訪れ、彼が育てている若手選手を指導している。2005年に小橋建太が訪れた際には、レイスが所持するNWA世界ヘビー級ベルトを小橋に与え(後に返還)、「私はもうミスター・プロレスではない。これからは彼こそがミスター・プロレスだ」との言葉を投げかけた。レイス曰く「私は長らくプロレスを見てきたが、2004年7月10日に行われた東京ドーム大会の小橋vs秋山がベストバウトだ」。また、ノアの選手ではレイス夫妻共々、丸藤正道がお気に入りであり、「日本の息子」と呼んでいる。
2004年には、プロレス界での功績を称えてWWE殿堂に迎えられた。2006年には自伝 “King of the Ring” の日本語訳版がエンターブレインから出版されており、表紙には「レイス・モデル」のベルトを誇示した王者時代の写真が使われている。
2013年12月7日、プロレスリング・ノアの有明コロシアム大会に立ち会うため、2004年7月10日以来の9年ぶりの来日を果たす。翌2014年1月4日には新日本プロレスの東京ドーム大会「レッスルキングダム」においてNWA世界ヘビー級選手権試合の特別立会人を務めた。その際、レイスを挑発したNWA社長のブルース・サープをパンチで殴り倒している。
2019年3月には肺癌を告白。同年8月1日、死去。76歳没。

Wikipedia

レスラー引退後は後進の指導やチャンピオンシップの立会人など務められたようです。

喧嘩が強く、プロレスラーの技術と受け身素晴らしかった名レスラーがまた一人旅立っていくのは寂しい事ですが、安らかに休んで欲しいです。

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